家族それぞれのイベントと前進
まぁ~この何ヶ月か、とにかく過去歴代に勝る忙しさで、
PC前に座っても、ほぼ書類かデジタル作成作業に追われて...
(ネットをみたい旦那にはi-pad渡して使用して貰ったんで
機嫌損ねずセーフといったところ
)
そんなわけで久々にmixiをひらいて日記を書き書き...
えーと、どこから書きましょか...
まず、自分のイベントから。
終わりました。はい。とりあえず。参加者全員怪我なく無事に。
3月の大震災から、色んな意味で肝を冷やし、
それの個々について時間と労力を費やしました

本番前2週間はほぼ毎日ソファーで2~3時間睡眠状態

日々時間と日にちの感覚が鈍くなっていく中、
無理矢理スケジュール帳と予定にカパっとはめているような感覚で
やっと本番当日にこぎつけました。
なのに...当日、客入れ直前に地震発生。
一次、裏では全スタッフが集まり騒然となりました。
(落ち着いて対応策を決定し各部署伝えたつもりですが
ホントは内心一瞬半泣き状態
)
なんとか発生から15分でおさまり、
大事を確認して、客入れ。
各団体にも丁寧に事情を伝え、15分押しスタートとなり
無事に幕が開き、全演目終えて無事に幕が閉じました。
どうにか地震の神様も少し見逃してくれたんかいな...ありがたや
それにしても、今年はそれぞれの各部署担当スタッフさんが
それはそれは素晴らしいフォローでした(私も沢山フォローして貰いました
)

支えて下さった皆様本当に本当に感謝感謝でいっぱいです
(最後のスピーチでも話しましたが泣きそうになりました
)
出演団体さん達も、昨年度から増々パワーアップし
イベントを盛り上げてくれました。
今年も演奏表現&ダンス表現が一緒に立てるイベントを実現でき
ジャンルも昨年より幅広く、団体さんも更にレベルの高いパフォーマンスを
魅せてくれました

また、今年やりたかったプロジェクタを使った同時演出も叶い、
その演目の中で念願のスローを踊らせていただく贅沢な機会もいただき
振りをお手伝いいただいたマイミクi.mちゃんにも感謝感謝
いろんな思いがこみ上げてきて思わず楽屋で2人で号泣でした

作品の思いも観ている方達に届いたかな..
(市長さん、出待ちの袖で目の前でストレッチしてしまってすみません
)
団体さん達のパワーもすごかったんですが...
それに付随するお客さん達もすごいパワーでした
今年度は思わぬ(?)満員御礼というか、入場制限が出てしまい
ホールキャパと客席構成、また規定上、
後半なんとかお席を増やして対応しましたが、
それでも対応しきれず
観ていただきたい思いがいっぱいな分、
該当してしまったお客様達へは本当に申しわけなかったです
問題を解消するには、お隣のホール使用がベストですが(笑)
現実化するには、まだまだ書類上や行政へ一般への呼びかけと
運営努力
あと数年、貪欲に、地道に...努力が必要ですね
それでも、今年は行政がからむ補助金交付事業として
2年目というのもあって、少しずつサマフェス(音フェス)イベントも
衆知や信頼が進み、タウンニュースにも、補助金事業申請のプレゼン時の記事・
イベント出演団体募集・イベント宣伝など多く掲載していただきました。
(そしてなぜかイベント告知のインタビューのはずが...私自身の特集欄まで
寝不足のひどい顔がドアップで掲載され
公衆の面前ではさらしてはいけない写真を...大変失礼致しました
そして、内容も...あんなドラマチックじゃないです(笑)さすが編集プロ(爆))
イベント直前のお知らせ号は、なんと綾瀬号出版第1号だったので(今までは
綾瀬・海老名号の合同号で)それもなにかの縁かなと
担当下さったSさん、実はとても可愛らしく素敵な編集長です
その他にも隣市ローカルラジオのレディオ湘南さんや、市内各店舗、
各市役所や行政に通ずる課の方達の宣伝活動ご協力や、
当日には綾瀬市長にもご足労いただきイベント開催のご挨拶を頂戴致しました。
数々のご協力とご声援に恥じないイベントを、今後も続けていかなくてはと
改めて感じます

記録ですが、今年はプロのビデオ&写真業者を入れたので、まだ手元にはなく
アップ出来る写真がないので、またそのうちに。
---------------------
サマフェスが終了してもまだお布団に入る余裕もなく
次の日から、幼稚園の役員作業

そう、今年、ちび男の園の役員なんです、私(名指しで指名され
欠席多いですよって言ってもそれでも良いからってなわけで...
今思えば、嘘つけよぉ~って感じですが!)
ちび男の園は、幼稚園事業と別個にしても良い程の
かなり仕事も多くしっかりとした父母会事業でして。
その父母会主催の第一弾が夏祭り。
園行事という名目なのかもどうか...
だって、父母会が園の先生達を招待する側なんて。
どんだけぇ~

なので、まったくもって激務でございました。
そんなわけで、ほぼ毎日会議と準備。
春から続いた夏祭り準備も、ちょうど、うちのイベントが終わってから
1週間後が本番当日。
そ、だから復帰した時がすでに佳境・・・げっそり
サマフェス前はほぼ定例会には出席できず、
その他時間が1時間でもあると園に顔出しして役員仕事を手伝い、
留守の間で決まった内容は同クラスの相方ちゃんや会長と
電話で夜中まで打ち合わせ。
定例会休みがちな私は家仕事のプリント作りなどは、率先して手伝ったため、
2つの事業を同時進行したPCまわりは、ほぼ紙屋敷となっておりました。
なので、今年の役員Tシャツ(例年作成し役員全員着用しているのですが)
のデザインと作成も私が担当しました(も~こうなったらお詫びのつもりで)
極めつけ、祭り前日はちび男も同伴で帰宅が夜9時すぎ。
当日は帰宅して家の時計を見たら深夜1時半過ぎてました(こちらは勿論単身で)
当日終了後は、実は園内で先生達が役員にねぎらいの飲み会を園庭で
してくれるんです。
芝生の綺麗な園なので、すごく気持ちが良かった
深夜なのにみんなで飲んで馬鹿騒ぎ
ラフな園長と先生方で、かなりフツーにフレンドリーな飲み会になり
かなり普段聞けない話も...楽しかった
そして、そして....ようやくお布団へ
この程、お布団のありがたさを再認識しました(笑)
-------------------------
この自分のイベントと園の夏祭りの間に、
姫の9歳の誕生日がありました。
私自身、かなりヘロヘロのぼろぞうきんみたいになってて
ちゃんとした誕生日をしてあげられず、ちょっと反省。
でも、とりあえず、娘希望のプレゼントはなんとか買いに行って
用意出来ました。
ケーキも。
そういえば、今年、初めて「誕生日会をしたい」と言ってたっけ。
叶えてあげられずごめんね。
自分も今の姫と同じ位の時、何度か開いてもらった経験があるので
そういう歳なんだなと。
私自身も楽しい思い出があったので、来年は叶えてあげられたら良いなと思います。
(しかし...同じ状況かも
いやいや、努力努力
)
姫が9歳ってことは、私達父母になって9歳って事で。
そして来月8月で結婚10周年を迎えます。
---------------
夏祭りがようやく終わって、まだ後片付けや会計もまだ終わらない頃、
今月実家を引き払う為、先週末、自分の荷物を片付けに帰ってきました。
私、高校卒業してすぐに家を出たんで、荷物はその時のままでして、
も~なにやら20何年前の懐かしいものが沢山出てきました。
その時に大切にしてたものだから、
中には幼児の時のものや、
学生を謳歌した時のものまで色々。
小さいとき、引っ越しが多かったんで、
幼少のグッズはほぼ残っていないのですが
大事に持っていたものもあって、
今でも、子供達に話す自分昔話に出て来る
アイテムが事如く残っていて、
まぁ~~~~~~
ノスタルジックなひとときだったというか。
片付けするのに、そういうものが出て来るとわかっていながらも
なんとなく心の準備(?)を怠ったせいか、ちょっと戸惑ってしまい...
今の実家が一番滞在が長くて、約20年間余り。
その為に一気に色々なものが出てきた事で
気持ちがタイムスリップして、
それがすごい年月と量なんで、
その時代の移り変わりに圧倒されて、
体力的というより精神的にかなり疲れてしまいました。
出て来たものも、
幼児の時によく聞いてたクラッシック全集や
およげたいやきくんなんかのレコード、
はだかのおうさまのおはなしやゴレンジャーのソノシート(兄貴のです)
キン肉マンけしごむ(キンけし)大量に(笑)経年にもかかわらず劣化せずに
ちゃんと伸びた?!
小学校高学年になってから聞いたマドンナやシンディーのレコード、
初めて買ってもらったオルゴールのキーホルダー、
大量のつくば万博やよこはま博、開園当時のディズニーランドの
パンフレットやおもちゃ、
学校時代使っていた書道セットやメロディオン、ハーモニカ、リコーダー、
趣味で通っていた七宝焼の道具、
そしてなんといっても、
ちょっとはずかしい交換日記や授業中交換した手紙やラブレター、
好きな人の写真、憧れてた歌手の切り抜き、
自作の詩集や小説、歌詞本、
友達と放課後書いたいたずら書き帳10冊セットとか。
その当時、思っていた・感じていた事が素直にそこに現われていて、
懐かしく、切なく、若いなぁ~なんて思って、
一通り目を通して処分しました。
もう無いかなと思っていたその頃の写真類も沢山ありました。
産まれたての自分や七五三の写真などのアルバム達は私の分は自分で持ち帰り、
兄貴の分は、本人がいらないというので持ってきませんでしたが。
実家から今の家に持ち帰るものは、
私は小さなダンボール箱1つだけでした。
アルバムと楽譜と当時好きだった小説を何冊か。
子供達にまだ使えそうなものも少し持って帰ってきました。
でも、その箱の小ささを見て、今はもう帰る場所がここじゃないんだなって。
そんな事からも時代の流れを感じたりしました。
で...そうそう、ひとつ、私のもので小さくないものがあって。
実は私が2歳の時に買ってもらったアップライトピアノが残っていて
ちょっと行き先に困っていて、
今月中に処分しなければならないのですが、引き取り手が見つからず
なのでお金を払って処分する事になりそう...
(この日記を書いている途中にぎりぎり引き取り手が見つかりました。
あぁ
感謝
)
今の自宅はというと1Fの居間が狭く置けず、
2Fには耐震面上設置しない方が良いので
持ってくる事ができませんでした。
それは母が運転免許をあきらめて買ってくれたピアノ。
ピアノを始めたきっかけといえば、
近所のお隣さんがピアノの自宅レッスンをしていて
2歳の頃、音が鳴ると、その自宅の入り口までてくてく歩いていって、
戸に耳をそばだてて聞いていたのだそうで、
ある時、先生が「どうぞ。入って聞いていく?」って入れてくれた事が
きっかけでした。
最初はどこかから、音が出ないオルガンを親が貰ってきて、
それを弾きながら、出ない音の鍵盤を弾くたびに
「ソ」とか
「ミ」とか
歌いながら弾いていたのを親が不憫に思ったのかどうかはわからないけど、
後日、当時のピアノ販売店に連れていかれて、どのピアノの音が好きかと
聞かれて、色々あった中で自分が気に入ったのがこれだったそう。
EARL WINDSOWという、日本製のもので、
購入当時、ピアノブームだった時代に30社ほどの日本のピアノ製造会社があり
その中のFLORA社製のものです。(今はブームも去り、各社も無くなって、
今は○マハと○ワイのみ残っています。)
EARL WINDSOWは多くの日本製の中でも人気のあった種の様で、
側の素材が北海道の蝦夷松で出来ていて、特質した細かいパーツも
当時主流な金属などを使わず、木材できっちりと作られていて
まるで宮大工のような仕事っぷりをしているものです。
その為、当時の他のピアノより重量が重くちょっと大変ですが
アップライトでも比較的響きが良く。
その為お値段も少々お高めだったらしいですが、
母が無理して買ってくれたもの。
私の音楽人生をずっと支えてきてくれたピアノなので、
手放す事が残念で仕方ない反面、
このピアノを手元に置けなかった自分もなんとなく罪悪感で。
...守ってあげられずごめんね。
今まで、本当に本当にありがとう。
---------------
ちび男が、この夏、幼稚園の体操教室主催のキャンプで
入院以外で初めてお友達と先生と一緒にお泊まりをします。
ちび男、初の親離れてのお泊まりが入院だったので、
未だにお泊まりに抵抗がある様です。
キャンプの話をした時も「ちっくん(点滴)はしない?」って
不安そうに聞いてきました。
先週実家に私が帰っていたときも、ちび男だけは
夜は「ママがいないと寝れない」とべそかいていたそうで...
男は甘えたさんだなぁ....
まぁ、キャンプに行ったら行ったで、お友達とお泊まりも楽しいだろうから
一晩なんて、あっという間なんじゃないかなと予想するのだけれど。
楽しんできて貰えたら良いです。
-------------------
上の方にも書きましたが、
今年、私達夫婦は結婚10周年です。
10年一昔と言いますが、本当に色々と人生観を変えた年月でした。
私も自分の事を色々やる機会も多くなって来ているので、
どうも旦那も何か始めたいと思っていたらしく、
今年はなんといきなり湘南国際マラソンにエントリーもしました。
パパがんばれ~
と応援しながら大磯ロングビーチで
飲むのが楽しみです
うしし
例年8月の結婚記念日には夫婦水入らずで
食事や映画を楽しむ日を設けているのですが、
今年は10周年だから、なにか思い出に残る事が良いねぇなんて
話していた所、思わぬ言葉が...
旦那「富士山のぼるよ」
私は、湘南国際マラソンの勢いの延長かと思ったんで、最初は
「いいよ~登ってくれば~」って人ごとのように言ったんですが
旦那は「え?二人でだよ?」って。
えぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~?!
産まれてこの方、登山だなんて考えてもみなかったわ。
だって、学生の頃、登山授業ってのがあって、
必ず近所の山を登らないと、単位がとれないっていう
なんだかわからん授業があり、
ちなみに休むと追登山日があり、必ず登らないといけないという...
しかも、登ってもなんもない景色も面白くない山で、
頂上まで行ったら、一休みしてまた下山って.....
ちなみに、兄貴も学生時代富士山登山チャレンジして
あともうちょっとってとこで、悪天候で下山、
「日本一高い山は日本一物価の高い山だった」と言い、
やっぱり良い思い出がなく
登山のイメージ悪すぎ

そんな...そりゃあ、どっかお泊まりとか良いよねぇって言ったけど。
まさか...山小屋とはっ!!!
それもサマフェス前に言われたんで、気もそぞろに返事をしていたら
次の日、「これ!着てみて
」って渡されたのが、
山グッズトップメーカーのモンベルのレイン上下!
しかもちゃんとゴアテックス使用の!!
「これさぁ~、お店に1点しかなかったんだ!迷ったんだけど
店員さんがもしサイズ合わなければ返品出来ますよって言ってくれたからさぁ~
買って来たよ~!着てみて!!」って、
目をキラキラさせながら言われたので
もうこうなったら登るしかないかなって(笑)
毎日、パンフレットや山登りガイドを見つめて目をキラキラさせている旦那ちゃんを見て、相当楽しみなのねって
あははは、単純ですねぇ。
ちなみに我が夫婦、本格的登山は初体験です。
そんなわけで、色々と調べていったり、山グッズを揃えていったりして
意外と山ガールブームで、アイテムもかわいいものが多く、
今の所、テンションは上がってきています。
コースは一番初心者向けのコースですが、とにかく気合いとの事。
心が折れたらいけないとの事なので、願掛けをする事にしました。
富士山といえばパワースポット。
登頂した人の感想の中には、人生観が変わっただとか、開運したとか
そんな心の変化やリフレッシュもある様なので、
私も今年も今後も人生が開ける様、祈願しながら登ってきます。
悪天候で断念する確立も多いそうなので、当日はどうか晴れますように...
富士山レポ出来るかな...余裕あったらします。
*******
ま~長々と記録ついでに書きました。
もし読んでくれている人がいたら、長々とお疲れ様でした
PC前に座っても、ほぼ書類かデジタル作成作業に追われて...
(ネットをみたい旦那にはi-pad渡して使用して貰ったんで
機嫌損ねずセーフといったところ

そんなわけで久々にmixiをひらいて日記を書き書き...
えーと、どこから書きましょか...
まず、自分のイベントから。
終わりました。はい。とりあえず。参加者全員怪我なく無事に。
3月の大震災から、色んな意味で肝を冷やし、
それの個々について時間と労力を費やしました


本番前2週間はほぼ毎日ソファーで2~3時間睡眠状態


日々時間と日にちの感覚が鈍くなっていく中、
無理矢理スケジュール帳と予定にカパっとはめているような感覚で
やっと本番当日にこぎつけました。
なのに...当日、客入れ直前に地震発生。
一次、裏では全スタッフが集まり騒然となりました。
(落ち着いて対応策を決定し各部署伝えたつもりですが
ホントは内心一瞬半泣き状態

なんとか発生から15分でおさまり、
大事を確認して、客入れ。
各団体にも丁寧に事情を伝え、15分押しスタートとなり
無事に幕が開き、全演目終えて無事に幕が閉じました。
どうにか地震の神様も少し見逃してくれたんかいな...ありがたや

それにしても、今年はそれぞれの各部署担当スタッフさんが
それはそれは素晴らしいフォローでした(私も沢山フォローして貰いました



支えて下さった皆様本当に本当に感謝感謝でいっぱいです

(最後のスピーチでも話しましたが泣きそうになりました


出演団体さん達も、昨年度から増々パワーアップし
イベントを盛り上げてくれました。
今年も演奏表現&ダンス表現が一緒に立てるイベントを実現でき

ジャンルも昨年より幅広く、団体さんも更にレベルの高いパフォーマンスを
魅せてくれました


また、今年やりたかったプロジェクタを使った同時演出も叶い、
その演目の中で念願のスローを踊らせていただく贅沢な機会もいただき
振りをお手伝いいただいたマイミクi.mちゃんにも感謝感謝

いろんな思いがこみ上げてきて思わず楽屋で2人で号泣でした


作品の思いも観ている方達に届いたかな..
(市長さん、出待ちの袖で目の前でストレッチしてしまってすみません

団体さん達のパワーもすごかったんですが...
それに付随するお客さん達もすごいパワーでした

今年度は思わぬ(?)満員御礼というか、入場制限が出てしまい
ホールキャパと客席構成、また規定上、
後半なんとかお席を増やして対応しましたが、
それでも対応しきれず

観ていただきたい思いがいっぱいな分、
該当してしまったお客様達へは本当に申しわけなかったです

問題を解消するには、お隣のホール使用がベストですが(笑)
現実化するには、まだまだ書類上や行政へ一般への呼びかけと
運営努力


それでも、今年は行政がからむ補助金交付事業として
2年目というのもあって、少しずつサマフェス(音フェス)イベントも
衆知や信頼が進み、タウンニュースにも、補助金事業申請のプレゼン時の記事・
イベント出演団体募集・イベント宣伝など多く掲載していただきました。
(そしてなぜかイベント告知のインタビューのはずが...私自身の特集欄まで



公衆の面前ではさらしてはいけない写真を...大変失礼致しました

そして、内容も...あんなドラマチックじゃないです(笑)さすが編集プロ(爆))
イベント直前のお知らせ号は、なんと綾瀬号出版第1号だったので(今までは
綾瀬・海老名号の合同号で)それもなにかの縁かなと

担当下さったSさん、実はとても可愛らしく素敵な編集長です

その他にも隣市ローカルラジオのレディオ湘南さんや、市内各店舗、
各市役所や行政に通ずる課の方達の宣伝活動ご協力や、
当日には綾瀬市長にもご足労いただきイベント開催のご挨拶を頂戴致しました。
数々のご協力とご声援に恥じないイベントを、今後も続けていかなくてはと
改めて感じます


記録ですが、今年はプロのビデオ&写真業者を入れたので、まだ手元にはなく
アップ出来る写真がないので、またそのうちに。
---------------------
サマフェスが終了してもまだお布団に入る余裕もなく

次の日から、幼稚園の役員作業


そう、今年、ちび男の園の役員なんです、私(名指しで指名され

欠席多いですよって言ってもそれでも良いからってなわけで...
今思えば、嘘つけよぉ~って感じですが!)
ちび男の園は、幼稚園事業と別個にしても良い程の
かなり仕事も多くしっかりとした父母会事業でして。
その父母会主催の第一弾が夏祭り。
園行事という名目なのかもどうか...
だって、父母会が園の先生達を招待する側なんて。
どんだけぇ~


なので、まったくもって激務でございました。
そんなわけで、ほぼ毎日会議と準備。
春から続いた夏祭り準備も、ちょうど、うちのイベントが終わってから
1週間後が本番当日。
そ、だから復帰した時がすでに佳境・・・げっそり

サマフェス前はほぼ定例会には出席できず、
その他時間が1時間でもあると園に顔出しして役員仕事を手伝い、
留守の間で決まった内容は同クラスの相方ちゃんや会長と
電話で夜中まで打ち合わせ。
定例会休みがちな私は家仕事のプリント作りなどは、率先して手伝ったため、
2つの事業を同時進行したPCまわりは、ほぼ紙屋敷となっておりました。
なので、今年の役員Tシャツ(例年作成し役員全員着用しているのですが)
のデザインと作成も私が担当しました(も~こうなったらお詫びのつもりで)
極めつけ、祭り前日はちび男も同伴で帰宅が夜9時すぎ。
当日は帰宅して家の時計を見たら深夜1時半過ぎてました(こちらは勿論単身で)
当日終了後は、実は園内で先生達が役員にねぎらいの飲み会を園庭で
してくれるんです。
芝生の綺麗な園なので、すごく気持ちが良かった

深夜なのにみんなで飲んで馬鹿騒ぎ

ラフな園長と先生方で、かなりフツーにフレンドリーな飲み会になり
かなり普段聞けない話も...楽しかった

そして、そして....ようやくお布団へ

この程、お布団のありがたさを再認識しました(笑)
-------------------------
この自分のイベントと園の夏祭りの間に、
姫の9歳の誕生日がありました。
私自身、かなりヘロヘロのぼろぞうきんみたいになってて
ちゃんとした誕生日をしてあげられず、ちょっと反省。
でも、とりあえず、娘希望のプレゼントはなんとか買いに行って
用意出来ました。
ケーキも。
そういえば、今年、初めて「誕生日会をしたい」と言ってたっけ。
叶えてあげられずごめんね。
自分も今の姫と同じ位の時、何度か開いてもらった経験があるので
そういう歳なんだなと。
私自身も楽しい思い出があったので、来年は叶えてあげられたら良いなと思います。
(しかし...同じ状況かも



姫が9歳ってことは、私達父母になって9歳って事で。
そして来月8月で結婚10周年を迎えます。
---------------
夏祭りがようやく終わって、まだ後片付けや会計もまだ終わらない頃、
今月実家を引き払う為、先週末、自分の荷物を片付けに帰ってきました。
私、高校卒業してすぐに家を出たんで、荷物はその時のままでして、
も~なにやら20何年前の懐かしいものが沢山出てきました。
その時に大切にしてたものだから、
中には幼児の時のものや、
学生を謳歌した時のものまで色々。
小さいとき、引っ越しが多かったんで、
幼少のグッズはほぼ残っていないのですが
大事に持っていたものもあって、
今でも、子供達に話す自分昔話に出て来る
アイテムが事如く残っていて、
まぁ~~~~~~
ノスタルジックなひとときだったというか。
片付けするのに、そういうものが出て来るとわかっていながらも
なんとなく心の準備(?)を怠ったせいか、ちょっと戸惑ってしまい...
今の実家が一番滞在が長くて、約20年間余り。
その為に一気に色々なものが出てきた事で
気持ちがタイムスリップして、
それがすごい年月と量なんで、
その時代の移り変わりに圧倒されて、
体力的というより精神的にかなり疲れてしまいました。
出て来たものも、
幼児の時によく聞いてたクラッシック全集や
およげたいやきくんなんかのレコード、
はだかのおうさまのおはなしやゴレンジャーのソノシート(兄貴のです)
キン肉マンけしごむ(キンけし)大量に(笑)経年にもかかわらず劣化せずに
ちゃんと伸びた?!
小学校高学年になってから聞いたマドンナやシンディーのレコード、
初めて買ってもらったオルゴールのキーホルダー、
大量のつくば万博やよこはま博、開園当時のディズニーランドの
パンフレットやおもちゃ、
学校時代使っていた書道セットやメロディオン、ハーモニカ、リコーダー、
趣味で通っていた七宝焼の道具、
そしてなんといっても、
ちょっとはずかしい交換日記や授業中交換した手紙やラブレター、
好きな人の写真、憧れてた歌手の切り抜き、
自作の詩集や小説、歌詞本、
友達と放課後書いたいたずら書き帳10冊セットとか。
その当時、思っていた・感じていた事が素直にそこに現われていて、
懐かしく、切なく、若いなぁ~なんて思って、
一通り目を通して処分しました。
もう無いかなと思っていたその頃の写真類も沢山ありました。
産まれたての自分や七五三の写真などのアルバム達は私の分は自分で持ち帰り、
兄貴の分は、本人がいらないというので持ってきませんでしたが。
実家から今の家に持ち帰るものは、
私は小さなダンボール箱1つだけでした。
アルバムと楽譜と当時好きだった小説を何冊か。
子供達にまだ使えそうなものも少し持って帰ってきました。
でも、その箱の小ささを見て、今はもう帰る場所がここじゃないんだなって。
そんな事からも時代の流れを感じたりしました。
で...そうそう、ひとつ、私のもので小さくないものがあって。
実は私が2歳の時に買ってもらったアップライトピアノが残っていて
ちょっと行き先に困っていて、
今月中に処分しなければならないのですが、引き取り手が見つからず
なのでお金を払って処分する事になりそう...
(この日記を書いている途中にぎりぎり引き取り手が見つかりました。
あぁ


今の自宅はというと1Fの居間が狭く置けず、
2Fには耐震面上設置しない方が良いので
持ってくる事ができませんでした。
それは母が運転免許をあきらめて買ってくれたピアノ。
ピアノを始めたきっかけといえば、
近所のお隣さんがピアノの自宅レッスンをしていて
2歳の頃、音が鳴ると、その自宅の入り口までてくてく歩いていって、
戸に耳をそばだてて聞いていたのだそうで、
ある時、先生が「どうぞ。入って聞いていく?」って入れてくれた事が
きっかけでした。
最初はどこかから、音が出ないオルガンを親が貰ってきて、
それを弾きながら、出ない音の鍵盤を弾くたびに
「ソ」とか
「ミ」とか
歌いながら弾いていたのを親が不憫に思ったのかどうかはわからないけど、
後日、当時のピアノ販売店に連れていかれて、どのピアノの音が好きかと
聞かれて、色々あった中で自分が気に入ったのがこれだったそう。
EARL WINDSOWという、日本製のもので、
購入当時、ピアノブームだった時代に30社ほどの日本のピアノ製造会社があり
その中のFLORA社製のものです。(今はブームも去り、各社も無くなって、
今は○マハと○ワイのみ残っています。)
EARL WINDSOWは多くの日本製の中でも人気のあった種の様で、
側の素材が北海道の蝦夷松で出来ていて、特質した細かいパーツも
当時主流な金属などを使わず、木材できっちりと作られていて
まるで宮大工のような仕事っぷりをしているものです。
その為、当時の他のピアノより重量が重くちょっと大変ですが
アップライトでも比較的響きが良く。
その為お値段も少々お高めだったらしいですが、
母が無理して買ってくれたもの。
私の音楽人生をずっと支えてきてくれたピアノなので、
手放す事が残念で仕方ない反面、
このピアノを手元に置けなかった自分もなんとなく罪悪感で。
...守ってあげられずごめんね。
今まで、本当に本当にありがとう。
---------------
ちび男が、この夏、幼稚園の体操教室主催のキャンプで
入院以外で初めてお友達と先生と一緒にお泊まりをします。
ちび男、初の親離れてのお泊まりが入院だったので、
未だにお泊まりに抵抗がある様です。
キャンプの話をした時も「ちっくん(点滴)はしない?」って
不安そうに聞いてきました。
先週実家に私が帰っていたときも、ちび男だけは
夜は「ママがいないと寝れない」とべそかいていたそうで...
男は甘えたさんだなぁ....
まぁ、キャンプに行ったら行ったで、お友達とお泊まりも楽しいだろうから
一晩なんて、あっという間なんじゃないかなと予想するのだけれど。
楽しんできて貰えたら良いです。
-------------------
上の方にも書きましたが、
今年、私達夫婦は結婚10周年です。
10年一昔と言いますが、本当に色々と人生観を変えた年月でした。
私も自分の事を色々やる機会も多くなって来ているので、
どうも旦那も何か始めたいと思っていたらしく、
今年はなんといきなり湘南国際マラソンにエントリーもしました。
パパがんばれ~


飲むのが楽しみです


例年8月の結婚記念日には夫婦水入らずで
食事や映画を楽しむ日を設けているのですが、
今年は10周年だから、なにか思い出に残る事が良いねぇなんて
話していた所、思わぬ言葉が...
旦那「富士山のぼるよ」
私は、湘南国際マラソンの勢いの延長かと思ったんで、最初は
「いいよ~登ってくれば~」って人ごとのように言ったんですが
旦那は「え?二人でだよ?」って。
えぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~?!
産まれてこの方、登山だなんて考えてもみなかったわ。
だって、学生の頃、登山授業ってのがあって、
必ず近所の山を登らないと、単位がとれないっていう
なんだかわからん授業があり、
ちなみに休むと追登山日があり、必ず登らないといけないという...
しかも、登ってもなんもない景色も面白くない山で、
頂上まで行ったら、一休みしてまた下山って.....
ちなみに、兄貴も学生時代富士山登山チャレンジして
あともうちょっとってとこで、悪天候で下山、
「日本一高い山は日本一物価の高い山だった」と言い、
やっぱり良い思い出がなく

登山のイメージ悪すぎ


そんな...そりゃあ、どっかお泊まりとか良いよねぇって言ったけど。
まさか...山小屋とはっ!!!
それもサマフェス前に言われたんで、気もそぞろに返事をしていたら
次の日、「これ!着てみて

山グッズトップメーカーのモンベルのレイン上下!
しかもちゃんとゴアテックス使用の!!
「これさぁ~、お店に1点しかなかったんだ!迷ったんだけど
店員さんがもしサイズ合わなければ返品出来ますよって言ってくれたからさぁ~
買って来たよ~!着てみて!!」って、
目をキラキラさせながら言われたので
もうこうなったら登るしかないかなって(笑)
毎日、パンフレットや山登りガイドを見つめて目をキラキラさせている旦那ちゃんを見て、相当楽しみなのねって

ちなみに我が夫婦、本格的登山は初体験です。
そんなわけで、色々と調べていったり、山グッズを揃えていったりして
意外と山ガールブームで、アイテムもかわいいものが多く、
今の所、テンションは上がってきています。
コースは一番初心者向けのコースですが、とにかく気合いとの事。
心が折れたらいけないとの事なので、願掛けをする事にしました。
富士山といえばパワースポット。
登頂した人の感想の中には、人生観が変わっただとか、開運したとか
そんな心の変化やリフレッシュもある様なので、
私も今年も今後も人生が開ける様、祈願しながら登ってきます。
悪天候で断念する確立も多いそうなので、当日はどうか晴れますように...
富士山レポ出来るかな...余裕あったらします。
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ま~長々と記録ついでに書きました。
もし読んでくれている人がいたら、長々とお疲れ様でした

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