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親たちのこと。

今年は戦後70年。
私たちは戦後の日本に生まれ
戦争という出来事が
歴史や教科書、ニュースの中だけで
語られてきて
今まで強く意識していなかった。

その事に少し焦りを覚えているこの頃。


先日、在住の市役所で
戦争当時の品々の展示に足を運んだ。
当時の人々と共に生きて、その歴史を
見てきた品々から放たれるオーラが
ものすごかった為、
圧倒されてしばらくその場所を
離れることができなかった。

数え切れないほど日本の各所で
負の経験した年配の方。
しっかりとした記憶を語ることのできる方は
おおよそ80歳以上の方と言われている。
私はというとその半分の年齢で
若くはないけれど家族が居て子供が居る。
そんな立場の私たち世代が
戦争の出来事に耳を傾け
語り継がれる適齢期なのかと
感じたこの夏。


比較的身近な私の叔父は80歳。
当時10歳で小4だったという。
現在、東京都庁が建っているその敷地に
出身小学校があったらしい。
東京出身だと聞くと、東京大空襲のイメージがあるが
集団疎開は小4からだったとのことで、ちょうど対象になり
疎開の後は東京を出たおかげで、大きな被害などの思い出などは
少なかったと言っていた。
戦中~戦後の話が主だったので、戦後の興味深い出来事などを
話してくれた。

私の中ではかなり丈夫で運動神経の良い叔父。
ずっと私の父親代わりになってくれた叔父。
ここのところ、体調があまり優れないとのこと。
自分が歳をとるっていうことは、親たちはもっと歳をとるってことだ。


その叔父の連れ合いである叔母から、今晩突然電話が来た。
「あんたのお母さん、肺ガンの疑いだって」
…いつもこんな感じ。
なぜ、自分の母親の病状を叔母から聞くんだろう。
普段も叔母と母の間の話があったりしてもわざわざ私に伝言してくる。
電話で直接2人でお互いやりとりすれば良いものを。
先日の救急車騒動のときも、夜中に遠隔で実家の母の地域の
救急車を呼んだのは叔母だ。
しかもそれ誤報…。ま、そのきっかけは母に悪いところが
あったのだけれど。
祖母が77歳で肺ガンで他界している為、介護していた叔母に
母が相談したらしく、
そのときに、検査を1日伸ばしにしたらしいから
娘からもなんとか言ってやってというので
かなり大騒ぎしていたから、母に直接連絡。

肋骨の辺りに白い影があるので疑いが…と先日の
検査何箇所かで言われたらしい。
来週月曜に再検査の予定が、ネットのプロバイダーの
切り替えがなっていなかったので
月曜午前中に業者が来てそれを済ませたいから、
次の日の火曜に変えたそうだ。

母は70歳。
1日ずらしたくらいで結果は変わらないと思っている。
…まぁ、私もそう思っている。
今まで、悪性リウマチ、肝炎、十二指腸潰瘍 他etc
病気のデパートのような体だったので、若い頃から
寝たきりだったことも長いし
さすがに何年か前に余命が短いと言われたというのを
聞いたときは緊張したが
今回のことも不安ではありながらも、またきたか…と。
もう焦ってもしょうがないので、
とにかく結果を待って見守ることに。

先日のGWで帰省したとき、珍しく母が
夏に関西のひとり暮らしの叔母の家に訪問したいから
検討しておいてねと言い出した。
関西の叔母も80歳。
連れ添った叔父も亡くなり今夏は新盆。
母も叔母もお互い歳で、もう訪問できるのが今回で最後かもと
母が言っていたので
急遽スケジュールを合わせて向かうことになっている。

こういう小さな出来事も年月を重ねて世代がシフトし
交代しているのを実感させられる。
若い世代と年配の世代のはざまに居る私たちが置かれている
位置が、とても重く責任のある世代に居るような感覚で
その感覚はまだ不安も多い。
でもそんなときに突然世代交代はやってくるのかもしれない。


しっかりとしなくては。











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